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バイオトイレが日刊工業新聞に掲載されました!②(2017年11月)

日刊工業新聞の不撓不屈のコーナーにバイオトイレの記事が4日に渡って掲載されました。

 

正和電工②

【トイレ処理技術に照準】

-コンポストがヒント-

 

大病が転機

 

 正和電工(北海道旭川市)は、1974年(昭49)設立の照明器具卸問屋が前身だ。現社長の橘井敏弘が就任したのが88年。会社の移転とともに社名も現在の正和電工とした。転機が訪れたのは92年、橘井が45歳の時だった。胃がんを患い、胃の5分の4を切除した。8時間の手術で、手術後は2週間の集中治療室(ICU)入室も余儀なくされた。退院後は「毎日の食事が大変だった」。

 大病の影響もあり、広い北海道内を回ることができなくなった。次第に新事業を意識するようになる。橘井は「体力が弱まると水が飲みにくくなる。無理なく飲めるのがきれいな水だった」と、きれいな水がいかに作れるのかなど、新たな事業として環境に対する興味が高まっていった。

 

「もったいない」

 

 当時の橘井にとって印象的だったのが、ホテルなどでの会合で出される宴会の食事。終了後の食べ残しがどのように処理されているのかが気になり、ホテルの従業員に尋ねた。全部まとめて生ゴミとして業者に回収させているといい、「もったいない」と感じた。

 90年代は環境問題が注目されており、生ゴミが肥料になるという生ゴミ処理機も話題となっていた。商材を探す目的で、東京で開かれていた環境関連のイベントを訪れた。展示される数多くの生ゴミ処理機。正和電工で扱い可能なメーカーをじっくり選ぼうと、東京や大阪で開かれる環境イベントも複数回見て回った。

 橘井はあるブースのコンポストトイレのパンフレットに目が止まる。聞けば、原理は生ゴミ処理機と同じという。コメ農家に生まれた橘井は「春先にトイレからふん尿をくみ取って、畑にまくこと」が身近な環境だった。生ゴミ処理機よりコンポストトイレに興味を持ち、仕入れて販売する事業を始めた。

 

潮目変わる

 

 だが、試作機を製作していた仕入れ先がすぐ倒産した。橘井はそんな逆境でも「自分でやるしかない」と決めた。95年、バイオトイレの研究開発に着手。原理は理解していたので、製品は作れた。不具合が出る度に改良・改善を図った。正和電工は工場を持たず、本体の金属加工などは外部委託し製作した。

 バイオトイレは当初、顧客の感触も決して良くなかった。「トイレの話なので、『食事前なのに便器なんて持ってくるな』と怒られた」と振り返る。それでも独自技術の開発を進め、見学会や会合での講演などさまざまな発信も地道に続けた。98年に旭川しんきん産業振興奨励賞を受賞した頃から潮目が変わった。「受け入れられるようになり、うれしかった」。

 

=日刊工業新聞(2017年11月1日)より抜粋=